2003年08月11日
最後の授業
「ARTIFACT」より。
『最後の授業』はフィクション度が高い
>元記事 今日がフランス語の最後の授業です ドーデ「最後の授業」
「最後の授業」をまともに読んだことのないフルカワがこの記事にあえてコメントをつけるのもなんだなと思いまして、自分のとこで記事にします。
「ARTIFACT」加野瀬さんは元記事からはじめて、従来(我々日本人が一般的にこの作品に対してもっているイメージとして)
>フランス語を話していた人たちが、プロイセン(ドイツ)の占領によって、ドイツ語しか使えなくなる悲劇のドラマというイメージ
がある、と前置きされます。 それに対してこの元記事によるならば、実際のところ当時の現地でフランス語の追放がされたかどうかはっきりしない、また当時のアルザス人が(アルザス語ではなく)フランス語という
>自分たちの言葉を奪われたという感覚はないでしょう
と結ばれています。
このまとめそのものは妥当なものだとフルカワは考えます。
で、この記事に対する余丁町散人さんのコメントが興味深いのです。
>だから学校でフランス語を「外国語として」教わっていたのです。プロシア軍が來てそのフランス語の授業を禁止する。そして「最後の授業」となるわけですが、彼等はまだまだまともにフランス語が話せていなかった。「ああ、もっと真面目に勉強しておけばよかった」というのが趣旨なんです。
この解釈が「最後の授業」に対する一般的なそれであるのでしたら、ちょっと興味深い話です。元記事のほうでも、ドーデ研究者のコメントとして
>(作者ドーデは)方言にはとても繊細な感覚を持っていたはず。あの作品の根底にもそれがあります
と語られているのに対し、余丁町散人さんはもっと教養主義的な観点からの悲劇なのだと述べられてるわけですね。
ただそのあとに続けて
>「母国語を奪われた」という感覚ではなく「フランス文明を自分のものにする機会を奪われた」というのが「悲劇」となっているのです。
ここまでくるとその悲劇は誰のものか?という疑問がでてくるわけです。物語中のアルザス人にとっての悲劇なのか、それとも著者ドーデにとっての悲劇なのか?余丁町散人さんの解釈が一般性をもつものならば、この「最後の授業」という物語はずいぶんと教養主義の色調をもっていることになります。少なくともasahi.comの論調とはかなり異なる趣旨があることになります。
しかしここで考えますに、「最後の授業」出版当時の状況である「アルザス人はこの本にほとんど興味をひかれず、一方でフランス国内ではこの本がベストセラーとなった」という背景を考慮に入れますと、やはりこの物語はそのような教養主義的・(素朴な)フランス文明礼賛的なものではなく、もっと政治的なニュアンス、フランス愛国心擁護の要素をもっていると思います。すなわち同じフランス人である(と当時のフランス国内で定義された)アルザス人たちはこのような悲劇に襲われている。悲しむべきことだ。国威を盛り返しアルザスを奪還しよう」という、フランス人の政治プロパガンダ的心情に訴えたがためにこの作品は日本にまでその名が知られることとなったのではないでしょうか。そしてその結果として、現在の日本における「最後の授業」の受け止められ方、すなわち戦争によって母語を奪われる悲劇という受け止められ方が一般的に定着しているのではないでしょうか。
なお現在のアルザス人が(ドイツ人としてではなく)フランス人としてのアイデンティティをもっている、というのは当然のことではないかと思います。我々だって歴史的経緯から言って君たちは中国人だ、とか言われたら釈然としないのと同じかと。結局のところ普仏戦争そして「最後の授業」の時代から既に1世紀以上が過ぎているのですから。
なお文中で用いた「最後の授業」出版当時の受け止められ方という部分は或る程度知られたものだとフルカワは認識してますが、手元に史料がないのでサイトの引用でご容赦ください。
24. ストラスブール大聖堂の天文時計
なお、関係するサイトとして以下のサイトも参照ください。
税理士佐々木利夫さんのひとり言より
山下敏明さんによる「最後の授業」と日本でのその受容・展開に関する書籍紹介
追記1
このエントリーを書いたあとに余丁町散人さんがコメントを追加していましたので紹介しておられたエントリーURLをクリップ。
NHK「ひるどき日本列島」と国語教育
こちらを読むと、余丁町散人さんはフルカワが指摘したような「フランス人にとっての悲劇」という観点を明確に主張されているようです。そのようなスタンスであるのでしたら、フルカワの論点と対立する点は、「論理の上では」ないということになりますね。
問題は論理以外の点…つまり「それは当時のアルザス人にとっては悲劇だったのか?」というところなんでしょうね。フルカワは現時点では、asahi.comの論旨の背後に流れるアルザスの独自のスタンスの存在、という推定を支持するものです。
追記2
追記1を書いたあとに、いまさらさんがコメントを追加していました。
>確か蓮実重彦の「反=日本語論」だったと思うのですが、同様の記述があったように思います。
・アルザス地方は土着語を使っていた
・フランスの熱血先生もドイツ側も、アルザスにとっては
両者とも文化の侵略者である
といった内容が書かれている、とのこと。今すぐチェックできないのが残念です。
当時のアルザス人のアイデンティティ、およびフランスおよびドイツに対する実際のスタンスがどうであったか、は非常にナイーブな問題だと思います。一般に19世紀のドイツ・フランス各地方では、おらがくにのことば、郷土方言に対する愛着がものすごく強いという印象があります。フルカワのフィールドワーク対象地方であるコブレンツ周辺もまた、独自のグロッサリーなどを刊行したと聞き及んでます。コブレンツはケルン地方の南側、ラインプファルツ北部にありますが、ここはフランス革命後にフランス旧体制貴族の亡命先・反革命の牙城となった上にナポレオンの失脚でプロイセンに併合されてしまいます(アルザスの先行者ですね)。このあたりの事情に関して、都市トリア生まれのカール・マルクスは、地元民のプロイセン政府に対するいささか冷ややかな感情の表出を読み取っていたように記憶しています。ドイツ人であるという認識と、親プロイセンであるという認識は必ずしも一ではありません。
いっぽうアルザスがフランスに併合されたのはルイ14世の時代。普仏戦争時にプロイセンに併合されるまで、「フランス人」であったのは200年あまりということになります。この200年という期間でアルザス人はフランス人になりえたでしょうか?あるいは蓮見重彦さんの言うような、「(フランス人もドイツ人も)ともに文化の侵略者であった」でしょうか?境界に住む人々の心性をさぐるというのは、とても難しいことだと考えています。
作成者 フルカワマサユキ
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