≪ 最後の授業 | diary | 10月初頭の日記 ≫

2003年08月11日

方言と国語教育

 「最後の授業」について語っておられた余丁町散人さんのエントリーにまたツッコミしたくなる記事を発見。

 NHK「ひるどき日本列島」と国語教育

 「最後の授業」そのものについての追記は別エントリーに。なお上記記事の主張の半分を占めると思われるNHK地方局のダルさについてはあっさり同意してます。というか、NHKのインタビュアーの喋りは老若男女かなりの人間がぬるいです。あなたたちは人形に向かって話してるんですか、というくらい。人の眼見て話してないだろとか思います。

 で、ツッコみたいのはフランスにおけるフランス語教育について。

>日本の学校教育では「国語」はあくまでも「国語」であり、生まれた時からみんな話せるものと考えられており、特別に「日本語を習得する」という点については力点が置かれていない。ところが諸外国では、かりに自国語であっても、学校においては自国語を「いわば外国語として」修得するという授業が行われるようだ

 問題が2点あります。前半の「日本では「日本語を習得する」という点については力点が置かれていない」というのは、日本の地方の教育状況を少しでも体感した方ならばおわかりのように、「共通語を覚える」ということです。子供たちが普段話している方言とは別の言葉としての日本語をおぼえるものです。ゆえに地方の少年少女は(なまってはいても)共通語を話すことが出来ます。これは余丁町散人さんの言う「いわば外国語として」という部分に相当するものだと思います。
 もう一点の問題。この「いわば外国語として」の部分について。そもそもそのような語教育は「いわば外国語として」なのでしょうか?上述の日本の地方における国語教育は「いわば外国語として」でしょうか?諸外国における共通語教育は「いわば外国語として」行われているのでしょうか?フルカワは「おそらく否」、と応えます。両者は普遍的な国語教育の枠内におさまるでしょう。
 余丁町散人さんはNHK地方局の「若い者」の言葉遣いに憤られるあまり、ちょっと脱線してしまっているようです。

 フルカワは上記引用記事を見て「フランス人は共通語を話すときに方言がまじらないのか?」と驚いてしまいましたが、冷静に考えてみるとそんなことはありません。たいていの人は地元の方言のニュアンスをまぜて話しますし、すこし訓練を積んだ人はイントネーションさえ変えることが出来るでしょう。それは日本人も同じことです。日本語教育における文章論理の組み立てが初等教育のうちに行われているかどうか?についてフルカワは語る資格も材料ももちあわせてはいませんが、ある国における「母語としての言語教育」「外国語としての言語教育」との間には厳然としたメソッドの違いがあります。それゆえ、日本語初等教育の不備をつくにあたって他国の事情をもちだすという論調では、なにがしかのバイアスを読み手に印象付けることになるでしょう。

 NHKのインタビュアーの語彙が貧弱だったりインタビューが対象者にストレートに向いていないのは国語教育とは別の問題(TV局の番組編成スタンスとか)に基づくのだと推測しておきます。

作成者 フルカワマサユキ

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